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ジェットガール

ときどき書きます

ミーツ・アイドル

アイドルマスター

 宴も半ばの居酒屋の座敷は雑然とした人の集まりで、多くが話に興じるなか、時おり立ちあがって別の相手を求めうろつく者もある。今日は中学校の同窓会で、つまり数年前の同じころを同じ教室で過ごしたぼくたちがぞろぞろと一つの店に顔を出し、覚えたての酒を飲みながら旧交を温めようというのだった。何人かの旧友とひと通りの挨拶をすませたぼくは、あちこちを飛び交う同年代たちの声に包まれながら視線を彷徨わせるうちに、談笑する一団の中にひとりの姿をみとめた。敬介だ。彼はぼくの視線に気がつき、仲間に何ごとか言うと、立ちあがってこちらに歩みよった。
 よう、と言って近づいてきた敬介は人懐っこい笑みを見せて隣に腰を下ろし、ぼくたちは互いに再会を喜びあった。高校進学を機に別々の学校に行くようになってから数年、街なかで偶然出会うことも時々あったとはいえ、前に会ったのはもう一年以上も前のことだ。敬介は小綺麗な服に身を包み、髪も少し染めているようで、まるで大学生みたいになった、とぼくが言うと、彼の方では、お前は変わりないな、と笑うのだった。
 そんな風にぼくたちが同窓会にふさわしい会話を続けていると、入り口のほうがすこし賑やかになった。ぼくたちのいる所からは女の子たちが立ちあがって誰か遅れてやってきた者を囲んでいることが窺えるのみで、ぼくも敬介も気にするともなく眺めていたが、やがて人の輪がゆるやかにほどけると、そのちょっとした騒ぎの中心にいた人物が姿をあらわした。
 顔を見せたのは女の子だった。肩に届かないくらいの長さの黒髪から中性的な顔つきが覗き、すらっとしたジーンズと二の腕を見せる服がシャープな四肢を強調している。身のこなし、表情からも、ぼくらのような人間とは違う存在感をそなえていることがすぐに知れた。座敷の隅にいたグループから声があがり、また沈黙して見守るものもいる。囲んでいた子らに愛想を振りまきながら、彼女は取り巻きたちの手をはなれ、一通りあたりを見回すとぼくに向かって微笑んで、口を開いた。ように見えたが、それはぼくの思い込みで、というのも、彼女が呼んだのはぼくではなく隣りにいた敬介の方だったからだ。
 彼女がこちらに近づいてきて、少しだけ緊張した面持ちの敬介が腰をあげ、二歩の距離で離れて立つ。そして続く、久しぶりに会ったのであろう二人の当たり障りのない会話を、ぼくは背中でぼんやりと聞いていた。
 そうしてぼくは突然、彼女の名前を思いだした。菊地だ——菊地真。敬介と、菊地なのだった。中学に入ってすぐのころ、最初のクラスで近くの席になった敬介と自然に行動を共にするようになったぼくは、時おり敬介と話している菊地の姿を見かけるようになった。敬介が彼女のことを幼なじみだと言ってぼくに紹介した当時、ぼくたちの背丈はそれほど変わらず、敬介も、菊地も、互いを同性の友達のように考えているようだった。
 けれどぼくは違った。髪も今よりずっと短く、休み時間には男子たちと一緒に球技をする彼女のことを男子同然に扱うクラスメイトもいたけれど、彼らに混ざるわけでもないぼくにとっては、あくまで、菊地はひとりの女の子だった。出会って以来ぼくはすぐに菊地の影を追うようになっていた。教室移動に廊下を歩く彼女の横顔や、グラウンドに揺れるショートヘアを見つめた。
 不意に背後の会話が途切れた。肩を叩かれ振り向くと、敬介がぼくを見おろしている。彼はぼくの名前を菊地に告げ、こいつのこと覚えてるか、と言った。彼女と目があう。微笑むようにぼくを見た彼女は曖昧に、うん、と言った。ぼくは何も言えずにいて、立ちあがる機会を逸した。
 ある日のことを思いだす。敬介と菊地が教室で一緒に弁当を食べていたときのことだ。彼らの様子を眺めていた男子がふたりを冷やかすようなことを言うと、別のひとりがそれに乗じた。そのこと自体に彼らは罪悪感を感じていなかったし、何も言わなかったぼくも彼らに荷担している側だったが、そうやって声にされてみると、教室の雰囲気が少しだけ、しかし確実に、ぎこちない空気を帯びたのだった。今まで何事もなかったはずのその光景が急に馴染みのないものに思えてくるのを、ふざけていた当の男子たちですら感じていた。結局その出来事はそこで立ち消えになったけれど、その日を境にふたりは疎遠になっていき、そしてそれきり、ぼくと菊地との接点は失われた。
 別々の高校に行くようになってから、クラスメイトの会話に、菊地がアイドルとしてデビューしたことを知った。同じ中学だった者には時々、まだ駆け出しの彼女のことを冗談めかして揶揄してみたり、彼女の載っている雑誌を教室に持ってきたりする者があったが、その度にぼくは知らないふりをした。全国区となった菊地に、現実感というものがなかったのだ。ぼくはあえて音楽番組も見ないようになった。
 今やそこそこの人気を集めているらしい菊地は仕事の合間をつかってなんとか顔を出していたようで、人を待たせているからと言って、仲のよかった女子たちとの別れを惜しみながら帰っていった。彼女の姿が消えると、ひときわ残念そうな声が女子たちの間からあがる。ふたたび隣に座った敬介はぼくと顔を合わせると微妙に笑って、それ以上はなにも言わなかった。
 同窓会から少しして、テレビの番組表に菊地の名前を発見した。ぼくは見て見ぬふりをやめて、彼女を映す画面に向きあってみる。テレビの中では、ステージに立つ菊地の姿がキラキラと輝いている。なんのことはない、そこにいる彼女は、ぼくたちの知っている日常をすべて振り払った、ひとりのアイドルとしての菊地真だった。知らず知らずのうちに記憶から追いやっていた彼女の姿を目の当たりにし、あのときの憧れをまざまざと思いおこさせる様子に、彼女がいま仕事で付きあう人々は彼女の魅力を存分に引き出しているのだろうと満足して、ぼくはテレビの電源を切った。